太閤の二つ岩



太閤の二つ岩

 

 

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@民話の舞台となった場所:柳田の八幡宮
A民話の謎:現在、伝説の巨大な岩「太閤の二つ岩」を探しても見つかりません。岩はどこへ行ってしまったのでしょうか?どのくらい大きな岩だったのでしょうか?
B「あらすじ」:豊臣秀吉が、大阪城を築く事になったとき太閤は、全国の大名達に天下統一の城にふさわしい石を差し出すように命じた。ここ備前の国、柳田にも知らせが入った。柳田の村人達が集まって相談したところ、柳田八幡宮にある石がいいということになった。しかし、その石は、昔からこの地方の守り石で村人達がこまった時に助けてくれる不思議な力を持っていた。次の日から石をわり始めたが、なかなかわれない。数日後にやっと二つにわれたかと思うとゴウゴウと音がして地しんの様に地面がゆれ動いた。村人達がさわいでいると、グニョ、グニョと大きな蛇が出てきた。「われわれは、この岩に何百年も前から住んでいる大蛇じゃ。本来ならば罰として食い殺すところだが、今回は見のがしてやる。」と言って、どこへともなく消えていった。それ以来、村人は二つにわれた岩を、「太閤の二つ岩」と名付けておまいりしたということだ。

 

Q太閤の二つ岩は今でも残っていますか?
A色々な歴史家が探していますが、それにふさわしい大岩がありません。矢穴(石を割るための楔の穴)の空いた岩も見当たりません。山頂には四角い穴の空いた岩がありますが、それは石柱を立てた穴で、矢金で割ろうとした痕跡ではありません。柳田八幡宮の裏山は住宅地造成で山が無くなっています。山を崩した時に岩もなくなってしまったのでしょうか?
児島駅前の公園には「太閤の二つ岩」と呼ばれる巨大な岩が真っ二つに割れたものがあります。しかし、これはどうやら公園を作る時に記念碑として製作したレプリカのようです。

 

Q:柳田のような地方にまで大坂築城の石が求められたのですか?
A:大坂城には豊臣秀吉の大坂城と徳川氏の大坂城があります。現在我々が見る大坂城は徳川氏の大坂城で、太閤秀吉の大坂城は地下10mにあります。現在の大坂城の石は瀬戸内の沿岸や島々に石切り場を設けて組織的に切り出した規格材で、最後には余ったくらいで苦労していません。ところが秀吉の時には石集めに相当苦労したらしく、古墳の石室の石材、墓石、石仏まで使ったようです。御神体の石まで手をつけることもあったかもしれません。倉敷市内の山中にも築城のために割ったと思われる岩があります。「太閤の二つ岩」はそうした事情を物語る伝説かもしれません。

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