彦九郎の樽流し
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ハングル
@民話の舞台となった場所:備讃瀬戸、下津井と櫃石島の海峡、塩飽諸島
A民話の謎: 樽流しは史実ではなく、実際にはもっと複雑なお話のようです。ではなぜこのような伝説が生まれたのでしょうか?
B「あらすじ」:「彦九郎の樽流し」とは、琴浦の海岸沿いに東に行った所、日比の沖に伝わる話である。昔、大槌島の漁場をめぐり、備前と讃岐の漁師の間で、島の所有争いが起こった。大槌島の根方から東西にのびる二つの瀬が貴重であったため、両国とも自国のものと主張し、喧嘩がたえなかったのである。そこで児島小川村の庄屋で菅野彦九郎という男が、備讃両国の国王に願い出て、大槌島から樽を流し、その樽の流れていったところを両国の境界にしようと提案した。かねて実験済みで、樽が讃岐の沖合近くを流れることを知っていた彦九郎は自信満々で樽流しに臨んだが、樽は予想に反して、どんどん備前側を流れていった。さすがの知恵者も元来漁師でなかっただけに、潮の流れが、その日の時刻によって違うことをしらなかったのだ。現在も岡山県に有利で内境界になっているのは、その樽流しの失敗によるものだといわれている。
Q:この話は本当なのですか?
A:史実とは少し違いますが、児島の人々が語り継いできたことなので忘れないようにしましょう。例えば、下津井沖の備前の領海が狭いのは樽流しのせいではないようです。下津井の沖合いには塩飽諸島があり、この海は織田信長の時代から塩飽の人々の自治領でした。江戸時代より以前に備前の人々は下津井沖の海では自由に活動できなかったのです。
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彦九郎の樽流し(ハングル)
翻訳者:徳永輝東
挿絵:野田久江
七人の王子
鴻(こう)ものがたり
由加の鬼塚
金浜の伝説
金の龍と青い龍
くすみの哀話
太閤の二つ岩
船幽霊
彦九郎の樽流し
児島民話を訪ねて
編集後記
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