児島民話ゆかりの場所を訪ねて



児島民話を訪ねて

 

魅力ある児島を撮る

児島の民話で語り継がれている場所を訪ね歩き、現在の風景からその当時の事を想像したいと思います。

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児島民話を訪ねて記事一覧

「鴻ものがたり」の舞台は、倉敷市児島の南東部にある琴浦地区になります。戦後、この地区は繊維業が盛んになり、学生服をはじめとするアパレル関係の工場が多く建設されました。これに合わせて、縫物をする家内工業も盛んになり、繊維の町「児島」を築いた地域になります。かつては、日本全国から働きに来ており、今ではなくなりましたが、商店街や映画館もあったと聞いています。ここ「鴻八幡宮」はかつて、役行者の弟子が紀伊の...

七人の王子が舞台になったのは、瀬戸内海国立公園にある絶景の一つ「王子ヶ岳」になります。一言でいうと、ここから眺める景色は「絶景」の一言です。さすが日本で最初に選定された国立公園になります。いつかは一度は見ておきたい場所の一つだと思います。王子ヶ岳は花崗岩で形成される山で、奇岩が有り。「おじさん岩」「にこにこ岩」「ひつじ岩」などの名前がついています。王子ヶ岳は、ボルダーリングの聖地として、多くのロッ...

児島を横断するお話民話の多くはその地域スポッとでのお話が多いのですが、「由加の鬼塚」は児島地区を横断するスケールの大きいお話になっています。通生地区から由加地区へと西から東につながる民話です。坂上田村麻呂が本荘地区の通生にやってきて、本荘八幡宮(般若院)に陣を構えて由加の鬼退治の作戦を立てました。そしてその途中「湯谷山」で手を洗うと湧水が温かいお湯になったという逸話があります。その後、由加に行き3...

金浜という地名は現在も残っています。児島塩生と宇野津の間で、今は児島臨港消防署がある場所になります。私が思うには、名前の由来は・海が黄金色にキラキラ輝く様子が見てとれる浜ということで金浜と名付けられたと思います。 金浜は海が西側にあるので夕陽がとてもきれいですし、夕陽の映り込みの時間になると、その近辺一帯の海は黄金色に輝きます。・金浜の沖合は高梁川が瀬戸内海に流れ込む場所でしかも島が多いことから、...

このお話は、瀬戸内海に浮かぶ大槌島通称「おにぎり島」と児島の西側に位置する龍王山にまつわるお話ですここで一つ下の写真を見て下さい児島はもともと一つの島でしたその形は龍の形に見えませんか?左側が頭で右が尾っぽになります。龍が頭を持ち上げている様に見えます西側にある連島が火炎の様に見え、龍が炎を口から出しているようです児島にまつわるお話には、「龍」とか「金」がつくお話がありますこのことから、姿・形から...

鷲羽山の一番先の岬を、通称「くすみの鼻」と呼ばれています。ここは、東からやってきた船が大きく北に針路を変えて水島に向かう海の要所です。普段はおとなしく見える瀬戸内海ですが、実は海の流れいわゆる潮流がものすごく早く、あっという間に流されてしまいます。エンジンがなかった昔は、風と潮流そして人力によって船を動かしていたわけですから、ここは潮の流れが複雑のあまり事故が多かったのでしょう。今では、くすみの鼻...

このお話は、児島柳田に伝わるお話なのですが、高度成長時代における団地造成などで太閤の二つ岩は無くなったそうで、今となっては当時を偲ぶものは残念ながらありません。でも、柳田には多くの史跡があります。昔、児島は一つの島でした。1830年頃、吉塔寺の住職「円明和尚」は児島一円に四国にある四国八十八カ所霊場巡りと同じものを作りました。令和の今でも現存する「児島八十八カ所巡り」残っており、お遍路さんが巡礼を...

船幽霊のお話は、児島本荘地区の通生浜の沖合にある「大杓島」「子杓島」「大柄杓島」という三つの島々が舞台になります。ここは、水島灘といい、見た目は非常に穏やかに見えるのですが、ここの海域は潮の流れが複雑で、昔の漁師は苦労をしたと聞いています。瀬戸内海の干満の潮流、高梁川から流れ込む淡水、そして風などで、三角波が立ちあがり船の操作が容易ではありませんでした。そのことから、この海域を通過するときには気を...

このお話の舞台は児島沖から下津井そして塩飽諸島までつながるお話です。王子ヶ岳の前に広がる大きな海は、とても穏やかで魚介類も豊富な様子も見てとれます。今は海岸線をR430が通り、潮風に当たりながら気持ちの良いドライブと美しい瀬戸の風景を見ることが出来ます。下津井沖には、世界に羽ばたく瀬戸大橋がかかり、讃岐のん国との往来も多くなり、当時のもめごとも今では見えなくなっています。彦九郎の樽を追いながらドラ...